ネイチャーポジティブ「実行」のための計測・開示
―熊本サミットが示したインパクトと「依存」の両輪
グローバル・サステナビリティ基準審議会(GSSB)副議長
GHGプロトコル専門作業部会(TWG)メンバー
ゼロボード総研所長
待場 智雄
2026年8月1日
「第2回グローバル・ネイチャーポジティブ・サミット」(GNPS2026)が「水の都」熊本市で2026年7月14~15日の2日間開催され、『熊本宣言』の採択をもって閉幕した*1)。国内外から企業・金融機関を中心に約2,700人の出席者が集まった、日本では数少ない国際会合は、昆明・モントリオール生物多様性枠組(GBF)の2030年目標に向け、「理念から実行へ」と議論の重心を移す場となった*2)。筆者はグローバル・レポーティング・イニシアティブ(GRI)のグローバル・サステナビリティ基準審議会(GSSB)を代表して出席し、自然資本関連基準の相互運用に関する全体会合で登壇したほか、国連機関・国際団体との交流、および自然関連財務情報開示タスクフォース(TNFD)のトニー・ゴールドナーCEOらとともに、日本企業との非公式対話の企画・実施にも関わった。本稿では、サミットが示したネイチャーポジティブへの実行局面、そして生物多様性からの企業財務リスク・機会を考えるうえで、インパクトに加えて自然資本への依存(dependencies)を正面から捉える必要性について論じたい。
サミットが示した「実行」への転換
GNPS2026は、2024年のシドニーでの第1回に続く開催であり、自然保護団体、研究機関、ビジネスの国際連合体であるネイチャーポジティブ・イニシアティブ(NPI)と国際自然保護連合日本委員会(IUCN-J)が主催した。会場の熊本城ホールにはバードライフ・インターナショナルの名誉総裁を務められる高円宮妃久子さまや元ユニリーバCEOのポール・ポルマン氏ほか国内外のリーダーらが集い、企業戦略、金融、テクノロジー、海洋保全、流域スチュワードシップなど多層の議論が進められた。併催の展示会「NATURE TECH!」には地元の学生らが多数詰めかけ、押し合いへし合いの賑わいとなった。閉幕時に発表された熊本宣言には民間企業41社を含む85組織が賛同し、ネイチャーポジティブ経済への移行をコストではなく投資と捉え、測定・評価・報告の整合や、自然を活用した解決策(Nature-based Solutions: NbS)と脱炭素の統合、公正な移行などを掲げ、2026年10月にアルメニアの首都エレバンで開かれる生物多様性条約第17回締約国会議(COP17)へつなぐ姿勢を示した*3)*4)。
開催地・熊本そのものが、依存を抽象論で済ませられないことを示していた。水道水源のすべてを地下水に依存する「世界一の地下水都市」として、上流域の涵養と流域協働を積み重ねてきた一方、半導体関連産業の進出は水資源への新たな負荷を突きつけている*2)。森・川・農地・都市を一つのランドスケープとして捉える視点が必要で、個社の敷地内施策だけではネイチャーポジティブの成果は不十分である。サミットでも、テクノロジーセクターの水リスクや流域スケールのウォーター・スチュワードシップ(水資源管理・保全)が議題に上り、自然の恵みの持続可能な活用と負荷の最小化をめぐって意見が交わされた。サミットの真価は宣言そのものよりも、企業や投資家、基準設定主体が、何を測り、何を開示し、それをどう持続的な活動を支える資本配分につなげるかを具体的に詰め始めたことにあると感じた。
リスク・機会の前提としての「依存」
自然関連開示の議論では、GBFの2030年ターゲット15が、政府に対して生物多様性に関するリスク・依存・インパクトの評価と開示を企業等に求めることを促しており*5)、TNFDは依存、インパクトとリスク・機会(DIRO)を一体で扱っている*6)。しかし、IFRSサステナビリティ開示基準のS1号(全般的要求事項)およびサステナビリティ基準委員会(SSBJ)の一般開示基準は、企業によるバリューチェーン上の資源・関係への依存がリスク・機会に関連するとの説明のみに終わり、欧州サステナビリティ報告基準(ESRS)はAnnex IIで依存を「事業プロセスが自然・人・社会資源に依拠している状態」と定義し、ダブルマテリアリティ評価で勘案するよう求めるが、E4(生物多様性)において依存専用の標準指標は定義していない。GRIは長年、組織が経済・環境・人に与えるインパクト(影響)の透明性を担ってきており、グローバルな報告体系の中で依存は隙間に落ち込んできた*7)。
依存の具体像は、業種を思い浮かべるとわかりやすい。飲料メーカーなら流域の水量と水質、食品・農業なら受粉をする虫や土壌、半導体やデータセンターなら製造・冷却用水、紙・木材なら森林資源、水産・海運なら海域生態系への依拠が典型例だ。金融機関であれば、投融資先や保険契約先を通じて、こうした依存がポートフォリオ全体のエクスポージャーになる。依存が揺らげば操業停止や調達コスト上昇、保険料・資本コストの変化といった財務影響につながりうる一方、水源涵養や再生型農業、持続可能な調達への投資は、リスク低減と事業機会の両面を持ちうる。この現状を踏まえ、GRI、TNFD、国連責任投資原則(PRI)の共催でサミット2日目朝に非公式会合を開き、依存をより体系的に開示へ組み込むことの是非について、国内の投資家、事業会社、保証実務者、自然・政策関係者らを招いて意見聴取と議論を行った。
会合の冒頭、TNFDのゴールドナーCEOは、依存がすでにTNFD勧告とGBFターゲット15に位置づけられていること、初期のTNFD開示実践では依存評価が実務上可能であり企業の行動にもつながっていること、投資家のスチュワードシップでも依存への関心が高まっていることを示した。そのうえで、報告体系全体の整合の観点から、インパクト開示で世界的基盤を持つGRIスタンダードにおいて依存をより明示的に扱う可能性について、出席者に問うた。シンガポールのデベロッパー、シティ・デベロップメンツのエスター・アン氏(GRI監督理事会メンバー)は、6月のロンドン気候ウィーク会合にも参加した企業の視点から、依存を考えることが「インパクトの透明性」と「財務関連リスク・機会と価値情報」のダブルマテリアリティ報告を実務でつなぐこと、TNFDのLEAP(発見・診断・評価・準備)アプローチ*8)がリスクだけでなく、機会やファイナンスに結びつくネイチャーポジティブ案件の発掘にも役立つことを述べた。
続く自由討議では、発言者を特定しない前提で、依存開示の実務像が議論された。依存とインパクトは過去と現在に根差す観察可能な事実であるのに対し、リスクと機会は前提・シナリオに基づく将来推計である。したがって依存情報はリスク開示の付け足しではなく、経営が見込む財務影響の妥当性を利用者が自ら検証するための土台になる。投資家も、パッケージ化されたリスク結論だけでなく、立地や原材料、売上高に占める依存度といった具体的な事実を求める。自然の単位で測る依存・インパクトを貨幣単位の財務影響へ「翻訳」することが難所であり、同時に関心の中心でもある。現場では水や調達の物理リスクをすでに把握していることが多い一方、依存を取締役会の資本配分課題として扱うことにはなお距離があり、LEAP等でどう特定したかというプロセスの透明性自体が、指標と並んで有用だとの見方も示された。標準化は比較に必要だが、セクターや場所の生態的文脈を消す過度な一律化への警戒も共有された。
筆者は全体会合でのパネル討論で、GRIとTNFDの相互運用を次のように説明した。両者は目的が異なるが補完的であり、企業が一度そろえた生物多様性の情報を、GRIでは自然へのインパクトとして、TNFDでは事業へのリスク・機会(と依存)として使い分けることで、二重報告にならずダブルマテリアリティの両面を支えられる*9)。依存を「落ちこぼし」にしないことは、この相互運用を完成形に近づける次の実務課題である。対話の総括としても、依存開示はインパクトやリスク・機会に取って代わるものではなく、グローバルな報告体系の中でより明示的・構造的な構成要素になるべきだ、という方向性が共有された。
「自然の状態」(SoN)指標の位置づけ
一方で、サミットの共催者であるNPIは、自然の損失・回復を測る共通の物差しとして「自然の状態」(State of Nature: SoN)指標の合意形成を進めている。2020年を基準年に、2030年までの損失停止・反転、2050年の回復という時間軸のもと、陸域を中心に指標案を練り、2025年のパイロット、2026年2~3月の最終コンサルテーションへと歩を進めた*10)。キリンホールディングスや王子ホールディングスなど、日本企業もパイロットに参加した*11)。気候変動に排出量という共通指標があるのに対し、自然には数百を超える指標が並立し、何をもって回復とするかの共通理解が不足しており、SoNはその空白を埋める試みである。サミット参加者は熊本での発表を期待していたが、指標セットの本格的な確定と既存枠組みへの埋め込みに関する正式な位置づけは、COP17の場に持ち越される形となった。
ここで重要なのは、SoNと企業開示の役割分担である。SoNが示すのは、サイトやランドスケープ、ひいては地球規模で見た自然の状態そのものの変化である。基準年の状態からの差分で、自然が回復に向かっているのか、失われ続けているのかを測る。企業のインパクトは、その状態に対する負(または正)の寄与の経路を、依存は事業が依拠する生態系サービスや自然資本への脆弱性の経路を示す。リスクと機会は、それらの経路が収益・コスト・資産価値・資本調達に及ぼす財務影響として現れる。SoNがベースラインと差分を定めることで、企業の活動や投資が特定のサイトやランドスケープにおける自然の回復にどれほど貢献しているのかを、より客観的に示すことができる。SoNはTNFDの次にあるものではなく、TNFD、GRI、そして自然に関する科学に基づく目標(SBTs for Nature)*12)への組み込みが協議されており、自然の状態評価を実質化するための「部品」となるだろう*2)。現場データとLEAP等の評価プロセスを先に整えておき、SoNという共通物差しが固まったときに接続できる状態をつくることが合理的である。陸域が先行し、淡水・海洋はなお発展途上であることも含め、SoNは完成品というより育ちつつある枠組みとして付き合う必要がある。
TISFDとの交差―「人」でも同じ骨格
この「事実としてのインパクト・依存」「判断としてのリスク・機会」という骨格は、生物多様性のテーマに限った話ではない。2026年5月にベータ版バージョン0.1を公表した不平等・社会関連財務開示タスクフォース(TISFD)は、「人々の状態」(State of People)を出発点に、人権・不平等に関するインパクトと、技能・労働力・社会的受容などへの依存を、組織およびシステムレベルのリスク・機会へつなぐ論理を「IDRO」の枠組みで明示した*13)。環境劣化が人権侵害や不平等を悪化させ、不平等がグリーン移行への社会的支持を損なうといった相互依存も、統合的リスク管理の前提と位置づけている(図)。熊本宣言が公正な移行や社会全体アプローチに言及したこととも重なる。
図: TNFDとTISFDが図示する依存、インパクトと財務リスク・機会の関係性
左図:TNFD*6)(P29 図11)参照、右図:TISFD*13)を基にゼロボード作成
企業にとっては、TNFDとTISFDを別々のコンプライアンス案件として積み上げるのではなく、気候・自然・社会を横断して「何に依存し、何にどう影響しているか」を同じデータ基盤とガバナンスで捉えることが肝要である。有価証券報告書の人的資本開示拡充や、IFRS S/SSBJ、SASB、GRI、CSRD/ESRSなどの開示規制が並走するなか、IDRO/DIROの共通言語を早期に組織内へ定着させることが、将来の開示負担をむしろ抑えることになる。気候開示の義務化が組織体制を整えたように、自然でも「測り、翻訳し、取締役会で議論する」回路を先に持つ企業が、次の規制・投資家要求に強くなるだろう。
日本企業への示唆
依存やSoNについて日本企業がいま優先すべきは、次の四点だろう。まずは、依存を本社の抽象的な方針に留めず、拠点・原材料・調達先単位で洗い出し、売上高や操業への紐づけを試してみること。たとえば「主力工場の取水が依拠する流域」「売上の何割が特定の農産物・海域に依存するか」といった粒度である。第二に、基準ごとに情報を作らず、まとめて入力したデータをDIRO各々のレンズで使う設計にすること。第三に、SoNの最終確定を待つことなく、既存の水・土地利用・生物多様性データを「自然の状態」からの経路として整理しておくこと。第四に、TISFDの議論も視野に、統合報告の枠組みも活かしながら、自然・人的資本への依存を横断したマッピングを始めること。こうすることによって、新たな時間と手間を掛けることなしに、依存やSoN開示への対応準備ができる。
熊本に続く次回のサミットはインドでの開催が示され、COP17ではGBF実施の進捗が厳しく問われる。里山や流域の共同管理が示してきたように、繁栄は健全な生態系と地域の関係への依存のうえに立つ。組織のレジリエンスも同様で、財務業績だけでなく、人と自然へのインパクトと依存を見据えてこそ、ネイチャーポジティブは測定可能な経営課題になる。第三者保証や投資家対話では、数値だけでなく、ナラティブや特定プロセスの説明も問われるようになる点にも注意が必要だ。
*1) 日経BP「グローバル・ネイチャーポジティブ・サミット2026」サイト
https://events.nikkeibp.co.jp/event/2026/GNPS_jp*2) 足立直樹「理念から実行へ 熊本のグローバル・ネイチャーポジティブ・サミットで問われること」、『サステナブル・ブランド・ジャパン』、2026年7月13日
https://www.sustainablebrands.jp/news/1311169*3) 相馬隆宏「ネイチャーポジティブ『熊本宣言』に85の企業ら賛同 2030年実現へ行動促す」、『日経ビジネス電子版』、2026年7月16日
https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00896/071500014*4) 観光経済新聞「グローバル・ネイチャーポジティブ・サミット2026閉幕」、2026年7月21日
https://www.kankokeizai.com/2607211130kks*5) 環境省「昆明・モントリオール生物多様性枠組」ページ
https://www.env.go.jp/nature/biodiversity/kmgbf.html*6) Taskforce on Nature-related Financial Disclosures (TNFD) 「自然関連財務情報開示 タスクフォースの提言」(日本語版)、2023年9月
https://tnfd.global/wp-content/uploads/2024/02/自然関連財務情報開示タスクフォースの提言_2023.pdf*7) TNFD, “TNFD responds to ESRS consultation”, 5 June 2026.
https://tnfd.global/tnfd-responds-to-esrs-consultation/*8) 環境省「LEAP/TNFDの解説」、自然関連財務情報開示のためのワークショップ《アドバンス編》第1回、2023年11月29日
https://www.env.go.jp/content/000178847.pdf*9) Global Reporting Initiative (GRI), “Accountability for impacts is essential to secure a nature-positive future”, press release, 16 July 2026.
https://www.globalreporting.org/news/news-center/accountability-for-impacts-is-essential-to-secure-a-nature-positive-future*10) Nature Positive Initiative (NPI), Consultation Brief: Finalisingconsensus on a universal state of nature metrics framework, 11 February 2026.
https://www.naturepositive.org/app/uploads/2026/02/Consultation-Brief_State-of-Nature-Metrics_Feb26.pptx.pdf>*11) 藤田香「キリンや王子、「自然の状態」を指標で見える化 TNFD開示に備え」、『日経ビジネス電子版』、2026年6月23日
https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00896/061900004*12) Science-based Targets Network (SBTN) 「ネイチャーSBTs企業マニュアル-自然に関する科学に基づく目標を設定する」(日本語版)、2025年2月
https://sciencebasedtargetsnetwork.org/wp-content/uploads/2025/02/SBTN-Corporate-Manual-Japanese-Feb2025.pdf*13) Taskforce on Inequality and Social-related Financial Disclosures (TISFD), The TISFD Framework: Recommendations on disclosure of people-related information by businesses and financial institutions, Beta Version 0.1, 26 May 2026.
https://www.tisfd.org/frameworks/tisfd-framework-beta-version-0-1